ヤングサッカーニュースバックナンバー

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01_YSN発刊10周年記念誌(1988/04~1997/08)

1988年04~12月号
1989年01~12月号
1990年01~12月号
1991年01~12月号
1992年01~12月号
1993年01~12月号
1994年01~12月号
1995年01~12月号
1996年01~12月号
1997年01~08月号

02_YSN発刊200号記念誌(1996/10~2005/03)

巻頭カラー
1997年09~12月号
1998年01~12月号
2000年01~12月号
2001年01~12月号
2002年01~12月号
2003年01~12月号
2004年01~12月号
2005年01~12月号

03_YSN発刊300号達成記念誌(1988/04~2013/05)

巻頭カラーNo1
巻頭カラーNo2
2005年01~12月号
2006年01~12月号
2007年01~12月号
2008年01~12月号
2009年01~12月号
2010年01~12月号
2011年01~12月号
2012年01~05月号
巻末

04_YSN31年のあゆみ(2013/06~2019/03)

巻頭カラー
2013年06~12月号
2014年01~12月号
2015年01~12月号
2016年01~12月号
2017年01~12月号
2018年01~12月号
2019年01~03月号

ヤングサッカーニュース 31年間を振り返って

「ヤングサッカーニュース」370号発行を最後に閉刊することになった。中西部サッカーの発展に尽力した多くの皆様方、編集にご協力を賜った皆様に厚く御礼申し上げます。この新聞が育成年代の子供たちにインパクトのあるニュースを届けることを念頭に、橋村弘子編集長を中心に共立アイコムと連携しながら継続してきた。
さて、コラム欄の最後は、中西部で育ち、日本代表で活躍した長谷部選手を取り上げて終了したいと思います。
青島東・青島中では県レベルの選手ではなかった彼が、藤枝東高で切磋琢磨し、レギュラーとなった3年生で県選抜の一員として宮城国体で優勝し優秀選手に選出されて自信を付けた。浦和レッズのスカウトの目に留まり周囲の反対を押し切りプロの道へ進んだ。W杯に出場した選手の中でワールドユースやオリンピックに出場できなかった選手は長谷部一人で、それほど注目度は高くなかった。
フル代表で頭角を現した要因は、世界各国の代表選手が集うブンデスリーガで13年間、言葉の壁や厳しい練習に負けずに精進したことである。フランクフルトに移籍して6年目でコバチやヒュッター両監督の下でレギュラーに抜擢された。経験のない3バックの中央で真価を発揮しゲームを読む力、協調性、責任感、リーダーシップなど身心の充実が評価された。とドイツメディアは絶賛した。昨シーズンのヨーロッパリーグ準決勝でプレミアリーグの強豪チェルシー戦の評価が高く同大会優秀選手に、ブンデスリーガでも初のベストイレブンに選出された。AFCアジアサッカー連盟から最優秀国際選手賞を受賞するなど世界的な選手と紹介された。
サッカー以外でも、2011年東日本大震災には、自らの著書「心を整える」がミリオンセラーとなり印税の全額をユニセフ協会に寄付した。シーズンオフには、世界各国の恵まれない子供たちを訪問するなど社会貢献活動も熱心に行う。
今年6月末日、10年ぶりに長谷部が我が家に顔を見せた。中学3年間、そして彼の後援会(200人)会長として14年間寄り添ってきた。「サッカーは子供を大人にし大人を紳士にするスポーツである。人生においてもっとも大切なことは努力することである。」と、日本サッカー育ての親、D・クラマー氏の言葉を思い出した。まさに彼に当てはまる言葉である。引退後には、日本サッカー界のリーダーになってほしい人材である。

企画構成編集責任者
滝本義三郎

 

中西部ヤングサッカーニュース、最終号に寄せて

昭和63年4月、ヤングサッカーニュース第1号創刊から31年目、平成31年3月発行の第370号をもって終了する事になりました。平成3年5月、故・深津敏夫氏(当時支部長)の発案で中西部支部機関紙として27年経過と伺っております。毎月、多くの皆さんが発行されるヤングサッカーニュースを心待ちにし、長年愛読して頂きました事、誠に有り難うございました。
小学生から社会人まで中西部全体にサッカー文化が根付き、地域の活性化の為に31年もの長い間ご尽力された編集責任者の滝本様、橋村様を始めとする編集委員皆様の多大な功績に敬意を表しお礼申し上げます。併せて中西部支部内の役員・指導者・選手・協賛社等多くの皆様のご理解・ご協力に感謝申し上げます。

一般財団法人静岡県サッカー協会
中西部支部長 野中 伸行

 

第1号創刊の頃、私はプレーヤーとしての現役を離れ、サッカーから距離を置き始めていました。そのような時に突然「ヤングサッカーニュース」が目に留まったことを鮮明に覚えています。
その数年後に依頼を受ける形で指導者を始め、再びサッカーと共に人生を歩んできました。ヤングサッカーニュースは、試合結果以外にも多くの有益な情報を掲載して頂き、最も身近な情報源でした。また、我が子がサッカーを始めてからは、家族にとってもより一層身近な存在となりました。
その後、中西部4種技術委員長及び藤枝市4種委員長を務めた際に、編集委員として会議に出席したことで、編集委員の皆様の苦労を実感致しました。創刊当時からの責任者である滝本先生や試合会場を飛び回り尽力頂いた橋村様を始め、ヤングサッカーニュースの編集に携わって頂いた多くの方々に感謝申し上げます。世の中の動きは速く、目まぐるしく媒体が
変化してしまう時代ですが、30年もの間、皆様に愛された紙媒体「ヤングサッカーニュース」は形を変えても、必ず後世に引き継がれるものと願っています。

藤枝市サッカー協会
理事長 岸 登志満

 

毎月購読するのが楽しみでした。焼津の理事長に就任してからは購読する立場から機関紙の継続の有無を判断する立場になり非常に残念ではありますが3月号が最後になります。滝本先生をはじめとし編集委員の方々におかれましては本当にご苦労様でした。特に橋村委員は取材から校正と沢山の仕事をしたと聞いています。本当に長い間ご苦労様でした。創刊時のサッカー文化の継承、選手の育成強化など目的は3月号で一度途絶えますが次の時代に新しい形で継承されて行く事と思います。
ヤングサッカーニュースを購読した選手達から多くのJリーガーやなでしこ選手が育ち本当に素晴らしい事と思います。これからも中西部サッカーの発展に尽力したいと思います。
最後になりますが創刊号より多くの方々に支えられ370号を発行出来る事を心より感謝申し上げます。長い間本当にご苦労様でした。

焼津市サッカー協会
理事長 黒松 則行

 

今年は静岡県サッカー協会創立100周年、中西部創立50周年そして中西部ヤングサッカーニュースの終了と大きな節目の出来事の年になりました。ヤングサッカーニュース第1号の一面が藤枝市役所日本リーグ2部昇格から始まったことで子供たちに夢を与え、努力すれば叶えることができると感じさせてくれました。新聞にチームや個人を写真付きで掲載することで身近な目標となり大きな励みにもなりました。試合経過やチーム紹介文などをニコニコしながら子供たちは見ていました。
発刊から30年が経ち昨年末からヤングサッカーニュースの継続を模索する議論のなか理事役員会で終了が決定しました。改めて滝本編集責任者、橋村編集長、編集委員の皆様の情熱、責任感、選手育成の思いがあったからこそ、ここまでの長きに渡って続けてこられたのだと強く感じます。中西部のサッカーの発展や活性化に貢献してくれた皆様に心より感謝申し上げます。ヤングサッカーニュースはなくなりますが、今後はHP他広報活動で中西部のサッカーがより一層発展していくことを願っています。

榛原サッカー協会
理事長 遠勢 栄太郎

 

創刊当時、私は大学2年生。藤枝市役所日本リーグ2部昇格や少年団や中高生の活躍する様子が満載された創刊号を見たとき、大きな感動を覚えたことを思い出します。
地元就職後は所属の藤枝市役所サッカー部現役時代から今日まで、その活動結果を数多く掲載していただき、選手、スタッフ一同、励みとさせていただきました。
島田市サッカー協会の技術委員長や理事長時代には「新たな挑戦」のコーナーに島田の取組を、また平成27、28年度は4支部のトップを切って、市内の少年から女子、シニアまでのチーム紹介を掲載していただき、島田市のサッカー関係者の大きな喜びと誇りになりました。
インターネット、SNSが普及していく中、刊行し続けたこのニュース。地元のチームや選手、指導者の活躍が「記憶」だけでなく370号に渡る「記録」として残ることは、大きな価値とともに次世代への財産として引き継がれることと思います。

島田市サッカー協会
前理事長 紅林 豊

 

創刊からこれまでご尽力された滝本義三郎先生はじめ、取材スタッフ、編集委員の皆様、歴代サッカー協会役員の皆様の情熱とご労苦に感謝申し上げ、今後さらに中西部支部の輝かしい歴史が積み重なることを祈念して、閉刊に寄せる